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この安濃に御縁をいただいてからこの近くの産土神社へ参拝をさせていただいているが、今月妻が参拝したところ
「成功している人は、なぜ神社へ行くのか?」八木龍平 サンマーク出版 より抜粋した案内資料を頂いてきた。

神様に出会うには「見る以外」を意識すること。
「感じる」ことが大切です。その感覚をもっと意識すれば、「目に見えない世界」がどんどん開かれるでしょう。


と書かれている。

産土神社ー1

産土神社ー2

産土神社ー3

夫婦の道 『信仰雑話』P.87、昭和23(1948)年9月5日発行

 近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは相当やかましく論じられている。しかしながら、これを霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。
 わが国は、都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様、すなわち産土の神様が鎮まりいます産土神社、または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるるのである。昔から子が産まれるや、必ずお宮詣りに行く習慣があるが、これは子供を授けて下さった神様にお礼詣りをするのである。これと同様結婚においても産土神が男女を結合させるので、その際恋愛による場合と、見合いによる場合と、いずれも産土神の思召によるのである。しかし、それを知らない人間は、人為的に成立するものと思うため、世間に沢山ある夫婦喧嘩の末「貴様出て行け」などと言うのは、いかに間違っているかという事である。せっかく神様の思召によって結ばれた妻であり、夫であるものを、人間が勝手にどうこういう事は、神様に対してはなはだしい無礼となるではないか。いかに気にいらぬ夫でも、気にいらぬ妻でも、縁があって神様が決めてくださった以上、おろそかに思う事は申しわけない訳で、有難く感謝すべきである。故にその事を知って、感謝の心を持って見直したならば、よい妻であり、よい夫であると思えるようになる事は請け合いである。
 今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因たるや夫の不品行にもとづくのである。例えば妻以外の女との関係がそれで、この罪は重大であって、ほとんど死に価する程のものである。しかも世の中には妾を二人も三人も中には十数人に及ぶものさえあるという事を聞くが、実に恐ろしい事である。これらの罪を霊界における祖霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっては一家断絶の不幸に陥る事さえあるので、祖霊は極力止めようとしてあらゆる手段をつくすが、なかなか目覚めないものである。しかも、罪はますます増大する以上、早くその罪を贖(あがな)わなければならない。それには主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると、家族の生活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、祖霊は主人の身代りとして子供を犠牲に供するのである。このような事は、世間にあまりに多いものであるから、読者諸士は注意を払われたい。必ず思いあたる事があるはずである。
 そうして夫婦喧嘩の主なる原因は、第一が妻君の嫉妬、第二は生活難であろう。故に、前述のごとき霊的事情を主人が認識するとしたら、嫉妬の原因はなくなる訳で、夫婦は神様の御意志で結ばれた事や、妻以外の婦人関係は重罪にあたる事を認識したならば、良き夫となり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。これは、決して夫婦円満にするための作り話ではない。事実長年にわたり幾多の経験とあいまって、神様から教えられたものである以上、一点の嘘もない事を断言する。
 聖書の中から右に関した教えを左に記してみよう。
 ○神の合わせたるものを、人たるもの離すべからず。
 ○人はその妻に合い、二人の者一体となるべし。
 ○汝の妻をもて足れりとせよ。
 私は、この一文を世の既婚者諸君に呈するものである。

観音講座  第七講座 『観音講座7』昭和10(1935)年9月15日発行

天照皇大御神

 天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)を無視しているのである。天照皇大御神様を無視する事は我皇室を恐れながら無視していると言われても致し方ない訳である。町内の会合は産土神社で行えば良い。いかにしても今後この通りになるのであるからそれをやれば良いのだ。産土神社の前で協議すれば利権や賄賂の問題なぞは起きない

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奇蹟の解剖

『栄光』107号、昭和26(1951)年6月6日発行

(前略)
そもそも人間には本、正、副の三つの守護神がある。この関係は以前かいた事があるから略すが、右の中の正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊で、危急の場合助けたり、重要な事は夢で知らせたり、また特殊の使命をもつ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある。例えば汽車が衝突しようとする場合、神様はどんな遠くでもよく知られるから、一瞬にして汽車の霊を止めてしまう、その場合何百、何千里でも、一秒の何十分の一の速さでその場所へ到着し救われるのである。以上によってみても、奇蹟なるものは、決して偶然やマグレ当りではなく、立派に理由があるのであるから、それが判ったなら、奇蹟は不思議でも何でもない事になる、だから私などは奇蹟があるのが普通で、奇蹟がないと不思議に思うくらいである、この例としてたまたま難問題に打(ぶ)つかって、解決がグズグズしていると、もう奇蹟がありそうなものだと待っていると、間もなく奇蹟が出て解決する事がよくある。これは信仰が深く、徳を積んだ人はそういう体験は数ある事と思う。従って、人間は善を思い、善を行い、徳を積み、霊衣を厚くするよう心掛けていれば、不時災難など決してないのである。また霊衣の厚い人程接すると何となく温味を感じ、慕わしい気持が起る、よく人を惹きつけると言うのはそういう人である。だからこういう人には自然多くの人が集ってくるもので、仕事も旨くゆき、発展するようになるのである、今一つの例を挙げてみるが、以前から私が行き始めると、その家は必ず繁昌する、また私に接近する人は、必ず発展し幸福になる、これは私の霊衣の幾分でも貰うからである。


特別講習会御講話  昭和15(1940)年11月9日


西洋医学は霊をぜんぜん知らぬ、否認めぬ故に癲癇、狂人などみんな脳としている。
 肉体は霊体を入れたサックのごときもので、使用に堪えねば霊は出て行く。
 霊はふつう死んでから四十九日まではその家におり、五十日目に行くべき所へ行く。ふつうはお寺へ行き、神道ならば産土神社または信仰している団体へ行く。お寺で葬られれば一時お寺にいなくてはならない。そして間もなく自分の信ずる所へ行く。ところが信仰する所がなければ、お寺に長くいることになるのである。人間が死ねば煙のようになると思う人は、お寺にもおれず宙に迷うのである。中有界に迷うので六道の辻ともいい、ここは辻のようなもので、四方八方どこへでも行けるのである。
この世で死んでも邪神界へ行くものもある。仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修業する、というのは浄化作用が行なわれる。罪は苦しまねばとれない。 これを迷信という人こそ迷信である。ある程度浄化が行なわれると生まれ代わる。霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生まれる。
 霊界でできるだけ長くいたほうが幸運である。思い続けた想念は滲みついているもので、また死の時の想念も続く。非常な美人は前の世はまずい顔だったかもしれない。だから女の方は死ぬ前に美人に生まれて来ようと思ったほうがよいであろう。輪廻転生、人間は霊が主で、霊は不滅、肉体は滅びて土となる。五十年とか八十年とか、霊の衣をぬぐだけと言っていい。人間は霊体が実体である。

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御講話(S29年3月5日) 『御教え集』32号、昭和29(1954)年4月15日発行

それで美術品も、神様は、ちょっと売り物 に出ないような物を、チャンとこっちに入るような順序がついているのです。神様の計画というものは実にたいしたものです。それと、霊界において、昔の立派 な芸術家や、いろんな大名だとか、将軍だとか、そういう人たちの霊が非常に働いてます。立派な美術館にするために……。それでその霊の奥にある産土の神様 とか、八百万の神様でも高級な方の神様が、いろいろ指図したり力を貸してやってます。だからああいう美術館を作るのも――それは生きた人間を使わなければ ならないが――私は、そういった現界の仕事をするのでも、私の背後にはいろんな神様、いろんな霊が大活動をしているのです。だから思いもつかないことが フッと来るようなことがありますが、“これは働いたな”と思います。その根本が分かれば、あたりまえのことで別に不思議はないのですが、ただ、できたもの を見ると、わずかな間にどうしてこんなものがと思うのです。第一、道具屋とかそういうことに心得のあるものは、どうしてわずかの間に手に入ったのだろうと 思いますが、霊界を知らないのですから無理はないです。

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2017_07_11

観音経に学ぶ

category: 資料  

観音経に学ぶ 20170711_062032

平成29年7月4日
観音経に学ぶ
無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。

若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
無尽意よ、観世音菩薩は、是(か)くの如き等(とう)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。
是の故に衆生、常に応(まさ)に心に念ずべし。

若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
「もし、おろかなこころに陥ったらいつでもこころから観世音菩薩と念ずれば即座におろかなこころから脱することができよう」

過ぎ去ってしまった時間のことを過去といいます。
そんなことは誰でも知っているのに、どうにも取り返しがつかない過去のことにいつまでもこだわって

「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」と嘆くのはどうしてでしょう。

 これを「愚癡(ぐち)」といって心の毒です。
「愚」は「猿の仲間で、一番頭の働きが鈍いもの」という意味の字です。

「癡」は「痴」とも書きます。「痴」は知恵が病気になっているのです。
病気になった知恵が「・・・ればなあ!」「・・・たらなあ!」と繰言(くりごと)を言わせているのです

繰言(くりごと)
同じ事を繰り返して言うこと。特に、泣き事や不平などを、くどくどと言うこと。また、その言葉。「繰り言を聞かされる」


愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。
「智慧」が無いということです。
事実知識や教養が無くとも人間として立派な人はたくさんいますし、その逆どんなに教養や地位、と名誉があっても愚かな行為をしてしまう人もいますね。それは「智慧」が無いからです。

実際知識が犯罪に利用されたり、教養が必ずしも欲望や犯罪の抑止力になっていないこともありますね。
オレオレ詐欺が劇場型に進化して成果?を上げているのも知識を振り絞って研究?している結果なのです。
因果応報という「智慧」を心得ていれば決してできないことなのに・・・ですね。

「智慧」を持ちその智慧に基づいた行動のできる人をほんとうにエライ人、立派な人と言うのです。
その智慧こそ言うまでもない宇宙悠久の真理法則のことであり別名「般若」とも言います。
智慧がないから人は間違いをしでかしたり、悩み苦しむのです。
仏教の目的とはただ一つこの智慧を人類に知らしめることにあると言ってもよいでしょう。

その智慧により一切衆生が「心から観世音菩薩を念じることで、愚痴という迷いの世界を離れ涅槃の世界へ入る」ことを仏陀は切に願っているのです。 智慧を身につけかけがえのない人生を是非有意義なものにしたいものです。

「無尽意菩薩よ、このように観世音菩薩の力はすぐれたものであり、饒益(他人に利益を与えるところ)が大きいのだよ。
だから、衆生は常に観世音菩薩を一心に念ずべきなのです」と、お釈迦さまはこのように仰せです。

人間の内なる三毒(淫欲を慈悲心に、瞋恚を勇猛心)のうち、愚痴を智慧にそれぞれ転換させてくれる観音さまの功徳を説いたものです。

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メシヤ講座・特選集十一(平成十三年十月分)で

<空気だって吸わないと生きていけない。つまり、生きること自体があらゆるものに頼っているということなのです。空気については以前も話しましたね。酸素の濃度はどのようにして一定に保たれているのか。海水の塩分の濃度はどのような仕組みで一定に保たれているのか。そのような事を一つひとつ認識していくことが、成長するということです。そして認識すればするほど、自然に感謝の念が湧いてくるものです。メシヤ様は『信仰は 真の智慧なり証覚(さとり)なり 証覚なくして感謝うまれず』と詠んでいます。日々の学びが無いと、感謝というものは生まれないし、感謝の心を持てない人は、勉強不足の哀れな人ということになりますね。>

と学んでおりますし、『入門と奥座敷』の作成に当たって、メシヤ講座・特選集(№167・平成26年12月分)で、

<最後にメシヤ教は平成27年から更に新しい体制づくりをしてまいります。そのために浄霊の基本等・・・、初めて浄霊に触れた人、メシヤ様という御存在を今まで一度も認識したことのなかった人達のために本をこれから作成していきます。その中身はまずメシヤ様という、神界から人間の体を持って降臨して来てくださって、そして、人間としての御苦労を総嘗めのように体験されてその中から『人類を救済する智慧』というものを私達に与えて下さいました。そのメシヤ様に直(じか)に繋(つな)がっていく。
 メシヤ様が神界からわざわざ人類を救うために降臨して来てくださって、そうした力を授けてくださるという、その御神慮に一層感謝しながら、その救済するというメシヤ様に想念で繋(つな)がって行くというのが一番根本でありますので、この根本を中心にして、そして、メシヤ様の御教えに基づいて浄霊の基本形を図解を以て理解しやすいような本をこれから作成していきます。
そうしたものを活用していただいて一人でも多くの方々にメシヤ様と直(じか)に繋(つな)がっていただいてその繋がりを太めていただく中で御守護いただく、そういう人を増やして行っていただきたい、というふうに思います。>

と御教導賜りました。

また、メシヤ講座特選集(№122・平成23年3月分)では、智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない とご教導いただきました。

<智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない>

(質問者)
そうしますとその御経綸ということを自分なりに理解しようとすれば、普通の考え方ではなくて全く違うところからの考え方が無ければいけませんね。

(先生)
ですので、全く違うところからの考え方が必要というよりも、智慧証覚(ちえしょうかく)がないといけないということですね。それでこの智慧証覚(ちえしょうかく)を得るためには御教え拝読が欠かせないわけですね。ですから日々御教え拝読をしながら物事を見て行くと大体当たってくると思います。これが智慧証覚(ちえしょうかく)、叡智が閃(ひらめ)いていく生活になってくるのだと思います。そういうふうに捉えて行って頂ければいいんじゃないかなと思います。>


私たちは日々御教えを拝読し、智慧証覚を得て今ある問題、これから起きてくるであろう様々なことに対処していかねばなりません。

私ごとですが、パソコンでハマグチと打つと「濱愚痴」と出てきていつも考えさせられます。
「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」と嘆いてはいないか。
愚痴になってはいないか、今までの小さな世界での「知恵」が病となり、御神業のお邪魔をしてはいないか。
魔を破る突破口「破魔口」たらんことを意識して取り組んで参りたいと思います。

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プロフィール

mesiyakyoumiesibu

Author:mesiyakyoumiesibu
メシヤ教月次祭およびメシヤ講座・三重の開催予定

次回 29年7月7日(金)11時開始

勉強会は三重県津市で毎月開催しています。
【平成29年度開催予定】
7月7日(金)
8月11日(金)
9月8日(金)
10月6日(金)
11月10日(金)
12月8日(金)

 メシヤ講座に参加されます方は『主神様とメシヤ様』(岡田茂吉著)および『文明の創造』を持参願います。
 メシヤ講座に参加を希望されます方、浄霊をご希望の方はお気軽にお問い合わせください。

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